脚注が多いかも

あんまり考えないで書くとこうなる

愛を込めて長唄を。

昨日何があったか覚えているのは精神衛生上よろしくないないのは明白なんですが、昨日何があったかを覚えていないっていうのも、大概ぞっとしないです。ちょうどよく生きていけたら万々歳ですね。

 

アレだわ、アレ。ビョーキ(精神の方)なんだろうよ。きっと。そんな感じ。

なんのことかっつーと、おしゃべりね。病的なぐらいおしゃべりなんだよ。そりゃもうめちゃくちゃ喋る。人といるとずーっとおしゃべりしてたい。多分ね。そうじゃない時もあるけど、そういう時は大抵、僕に注目が集まってる時。大人数の前で喋りたくないってわけじゃなくてさ、注意が注がれてるってのが嫌なの。わかるかな?

全然考えて話してないから、しっかり取りこぼさずにいられると、色々瓦解(崩壊(ボロボロ))してくる。

考えてないなら瓦解したっていいじゃん。ってわけにはいかないだろうから、緊張すんのよ。意外に思う思わないってのは置いといてね。

話半分で聞いてくれた方がいいのよ。きっとね。それこそ、おんなじ話を何回したって許してくれる。まー、許してくれるっつーか、覚えてないっつーかだけど。とにかく取り敢えずはそういう感じが今のところ、エンジン全開でいけるから、快いよね。おしゃべり(な人間)にとってはよ。

ところで、最近めっきり日が短くなったのに気付いた人はどれくらいいるのかしらね。特別、主題として話に上がらないこの事実は、結局のところ、主題として扱いたがる人間の、自分の感性への自己肯定感を高めているだけなんじゃなかろうか。実際、感性が鋭いとかなんとか自負しているタイプの人間の感性なんか、あんまアテにはなんねーのが本当で。

でもまー、そういうのに限って声が異常にデカいというのが常であってさ。本当嫌になっちゃうよね。

なんでまた、そんな話?ってのは疑問に思われるかもだけど、そういう事で最近嫌な思いをしたかと言えば、全然、もー本当に全然無かったりする。つーか、今まで生きてきてそれによって何か被害を被った事があるかっつーと、それもちょっと心当たりがなかったりする。

んじゃ、どうしてなんだよ。って聞かれると、実際最近の所感でそう思ったから話してる。って次第ね。だったらさっきの事実は、嘘になるのかってーと、それもそれで嘘じゃないし。もーワケワカメなわけ。どう思う?どうも思わないよね。そうですよ。

つまりのところ、おしゃべりってのは、会話の基本である、仮定があって、それを断定し結論を導いていくって作業が、めちゃくちゃに苦手で、それを俯瞰すると支離滅裂になって見えるってのが生態なのね。実際、おしゃべりはその時点(おしゃべり中)でそんな風に自分が見えていないのが、最大の問題になるのよ。

だから辟易されるっつーのが、最大の脅威に思える。

だから、辟易しないために、話半分程度に聞いといてくれればそれが良いよね。つーかそうしてください。

 

頭が良すぎてマシンガントーカーになる人間は、話が破綻してないから、そこそこの市民権を得られるけど。バカなマシンガントーカーはただのバーサーカー(狂戦士)だからヤバいよね。みたいな。