脚注が多いかも

あんまり考えないで書くとこうなる

奇術師と書いてマジシャンと読む。

話術ってものがあって、ある程度うまく操ると色々と捗るらしいです。要は話のタネに困らないってことなんですかね?話のタネにマジックを練習している人のことを僕は心から見下したりしてます。奇術師は見下してませんよ。彼らは奇術師ではないので。

 

年の瀬だね。どこに行ってもそんな感じ。事実寒いだけで、あんまり関係ないな。とか思ってる。一応、年末の連休に帰省しようかな。とか思ってるけど、来年(2019年(ホニャララ元年))はゴールデンウィーク(五月の大型連休)が10日あるらしくてこそでもいいかなー。って思ってる。

つーか、あんまりそーいう世間的な休日とは関係ない生活を送ってるから、好きなタイミングでそーすればいいんだけど、帰省したところでやるべきことは全然無くてさ、やりたいこと(猫を撫でる(etc))はいくつかあるけど、その為に腰をあげるのもどうなんだろう?って感じのことだし。まー、孝行的なアレで帰省するってのは大事だと思う。そーいう常識も割とちゃんと身についている感じ、義務教育ってのは偉大なんだなって思うね。多分。

んで、どうせならと京都あたりに2泊くらいしようかな(帰省先は九州(道沿いに京都(新幹線なら)))とかも思ってて、京都に行くならいつくらいがいいんだろうね。って話をすると、日本は四季折々の表情があるから、いつ行っても良いし、なんなら四季ごとに行くべきだ。って返してくる人は原理主義者だからちょっと警戒した方がいいんですか?

じゃなくて、別に京都観光したいから京都に行くわけじゃなくてさ、京都あたりに行くと会いたい人に会えるかもしれないとか、センチメンタル(感傷的)ってかメランコリー(憂鬱)ってかそんなんがあって。つーのも最近、インターネットで、お前も東京来いよ。って言われた人が、会いたいなら会いに来い。東京で会う必要はない。って言ってて、なるほど確かにとか思ってさ、僕も実際いくらか東京来いよ。なんて言った記憶があって、自分の希望なら、自分が行動するべきってのは筋が通ってるなと。そんな感じ。

でも、ある程度の出費は覚悟してるけど、日時未定だから、その辺すり合わせないとじゃん。

んで、そこら辺のすり合わせに、元々のモノグサ(無精者(面倒くさがり))とコミュ力(コミュニケーション能力(対人能力))の低さがどう差し支えてくんのかってのが、今んとこの心配よね。向こうも暇じゃないし。

会えたら会おうくらいがそれくらいがいいんだけど、それでわざわざ京都に行くのはなんだかだから、たまたま京都に来たって理由をでっち上げたほうがいいのかしら。って考えてる。会いに行くってのが主題なのはちょっぴり恥ずかしいからね。

そんなことない。とか平気で言う人は現代道徳教育とJ-POPが生んだポエム魔人なんで僕は無視する。

でもまー、どうなるにせよこれはオマケって感じのことだから、どうにかなるよね。どうにかはなる。

 

久々に会う人と話すとき、最近どう?って切り口で話し出すのは飽きてきたんだけど、収まり良く気の利いたことも浮かばないから、最近どう?って聞いてる。話術師はどうしてるんだろ?そもそも話術に長けた人を話術師と呼ぶのか?みたいな。